5.28.2007

Yokohama Mary: Post-War Yokohama, Japan


横浜駅の地下通路で初めて一人で彼女とすれ違ったとき、そのあまりの異様さに心臓がドキドキしたのを覚えている。実際怖かったのだと思う。舞台化粧のような白塗りの顔にフランス人形のようなドレスを着た彼女は、年齢不詳とはいえ、どう見ても齢60は越えていた。

東京の学校に通っていたのだが、私を含め数少ない「横浜組」の友人たちはお互いに彼女を見るたびに報告し合ったものである。それは他愛もない、でも非常に興奮する —つまりは都市伝説のうわさ話のような— おしゃべりであった。そしてその話のおもしろさは、どう説明しても東京在住のクラスメートたちにはわからないのである。その頃私たちは彼女を「横浜のハマ子さん」と呼んでいた。つい最近知ったのだが、私が産まれる以前に関内のシルクセンターで働いていた父たちは「キンキラさん」と呼んでいたそうである。

去年だったと思う、それきりずっと忘れていた彼女のことをなぜか急に思い出した。そして偶然か必然か、私より一つ年下の映画監督が彼女のドキュメンタリーを制作しているということを知った。インターネットには彼女に関する情報も、すべてが真実かはわからないけれども、ずいぶんとあった。彼女はハマ子さんでもキンキラさんでもなく、「ハマのメリーさん」として知られていたこと、占領軍相手の売春婦、つまり「パンパン」であったこと、しかし将校クラスしか客にとらなかったこと、ある将校の「オンリーさん」であったらしいこと、戦後50年にわたって横浜の街に立ち続け、晩年はホームレスのような状態であったこと、伊勢佐木町の古い商店の人々や野毛のシャンソン歌手永登元二郎さんなどに支えられていたこと、1995年頃に横浜から姿を消し郷里に帰ったらしいこと、そして2005年に亡くなったこと。横浜駅ですれ違ったあのときから20年たって、初めて私はメリーさんのことを知った。

初めてとはいいながら、しかし、中学生の私はメリーさんが占領軍相手の売春婦であったことにどこかで気づいていたと思う。いや、はっきりとは知らないままに感づいていた、という方が正しい。彼女のことを家で話題にした記憶はない。なんとなく、祖母が「ああ、パンパンだ」と言ったような気がするのだが、自信がない。私の実家には土蔵があって、戦後そこを何人かの売春婦に貸していたことがあったらしい。祖母は彼女たちのことを「パンスケさん」と呼んでいて、占領軍からもらった食料やらなにやらをわけてくれた、という話をしてくれたことがある。ずいぶん小さいときに聞いたことだからこれも曖昧ではあるのだが、祖母の話し振りには彼女たちに対する嫌悪感とか蔑みみたいなものはなかったと思う。そんな祖母がメリーさんのことを「パンパンだ」などと言うのは不思議だし、あり得ない気がする。いずれにしても、パンパンであれパンスケさんであれ、それが何を意味するのか私は本当には理解してはいなかった。一緒に噂話をしていた「横浜組」の友達もそうだったと思う。それでもメリーさんの来し方になにか、大人からきちんと説明してもらえるのを期待してはいけないようなことがあるのは知っていた。さらにそういう類いの話はきまって性に関することであるというのは、もうわかるほどの年齢であった。

1995年頃にメリーさんが横浜からいなくなったと聞いて、胸に迫るものがあった。ちょうど私が大学に入学した頃であるが、三菱地所の横浜ランドマークタワーが完成し、桜木町は「みなとみらい21」として生まれ変わろうとしていた。今でこそお洒落なスポットとして認識されているけれども、桜木町から関内にかけての界隈は、古い港町のハイカラな趣を残す一方、まさに港町ならではの混沌が時代に取り残された感もあり、「みらい」がイメージさせるようなツルツルピカピカした場所では決してなかった。

伊勢佐木町を取り囲むように、かつての青線地帯であり黒澤明の『天国と地獄』に出てくる麻薬街のあった黄金町、東京・山谷、大阪・釜ヶ崎とならぶ三大ドヤ街である寿町がある。告白するとそのどちらにも、私は未だに足を踏み入れたことがない。(余談であるが、前述の祖母はどんな所か見てこようと、娘時代に友達と二人で黄金町に探検に行ったそうである。)最近では大道芸のメッカとなった野毛も、私が子供の頃にはどことなく古ぼけた感じがあったし、中華街も今よりもっとずっとエスニック・タウン的だった。再開発によって、港町独特のエントロピーの高さのようなものが、もちろんまったく消えた訳ではないけれど、何となくツルツルピカピカの方向へと均されてきたような気がする。

メリーさんが消えたのはちょうどその頃だったのだ。それで改めて気づかされたのは、かつての桜木町界隈のあの雰囲気は、港があるという地理的な要因によって作られただけではなく、戦後という時代がまさに刻印されていたのだということである。終戦から50年、輝かしい「みなとみらい」は、占領軍の相手をしていた元売春婦の老婆を受け入れようとはしなかっただろう。2004年、東急東横線は横浜ー桜木町間を廃線し、みなとみらいへの直接乗り入れを開始した。

メリーさんのことと共に思い出すのが、子供の頃上野公園で見た傷痍軍人である。一人や二人ではない。道のあちこちに軍歌をかけながら茣蓙に座って物乞いをする、ぼろぼろの軍服をまとった脚のない人、手のない人、顔の焼けた人が沢山いて、怖くて怖くて、その後何度も夢に見た。あの人たちももう皆亡くなってしまったのだろうか。戦後生まれではあるけれども、今確かに思うのは、私が子供のときにはまだ戦争の痕はなまなましく、街角の生き証人となって残っていたのだ。

大学の東アジア研究センターにリクエストしてから数ヶ月、ようやく『ヨコハマ・メリー』のDVDが届いた。メリーさんのドキュメンタリーでありながら、メリーさん自身をカメラが追いかけているのではない。彼女の生い立ちを探偵のように調査するのでもない。中村監督は、メリーさんに直接的、間接的に関わった人たちの証言を紡ぎあげながら、横浜の戦後史、それも表向きの「正史」には決して記録されないであろう街と人間の歴史をたどっていく。「ハマのメリーさん」のドキュメンタリーとして、これ以上ふさわしい撮り方はないだろう。

5.25.2007

Two Installations at MCA Chicago, 2


もう1つはイラン出身で現在はニューヨーク在住のShirin Neshatの1998年の作品、"Turbulent "(荒れ狂う)。3階の一番奥の展示室で、前回来たときには見落としていた。向かい合った2つの壁にそれぞれ別の映像が映し出される。片方には民謡調の歌を歌う男性とホールいっぱいの男性の聴衆。もう片方にはヘジャブをかぶった女性が背を向けてじっと立っている。男性の歌が終わり拍手が鳴り止むと、今度はおもむろに女性の方が歌いだす。女性の方には観客は誰もいない。言葉にはなっていない彼女の声は、歌というよりもうめきや叫びのようである。反対側の壁から先ほどの男性歌手と聴衆が、間の抜けたような、それでいてどこか緊張した面持ちで彼女を見ている。私たち、つまりこのインスタレーションの鑑賞者は男性側の壁と女性側の壁の間にあって、双方の視点に交互に同化する。解説によると、シーア派の戒律により女性は公衆の面前で歌うことが禁じられているのだそうだ。しかしそのような具体的なコンテクストなしでも、このコントラスト—男性/女性、歌詞のある曲/言葉にならない叫び、満杯の聴衆/誰もいない客席、明るい会場/暗い会場、白い服/真っ黒なヘジャブ、見つめる/背を向ける—の真ん中に物理的に置かれることで、私たちはその断絶と距離、その意味することを身をもって感じさせられる。ふと思い当たることがあって家に帰って調べてみると、やはり私は以前Neshatの作品を少しだけ見たことがあった。より正確に言うと、きちんと見る機会を逃していた。2005年の夏広島を訪れたとき、広島市現代美術館に行ったのだが、ちょうどその年のヒロシマ賞を受賞したNeshatの特別展がその翌週から予定されていたのだ。予告のチラシとミュージアムショップにあった彼女の写真集を見て、興味を持ったことを覚えている。でもそのままずっと忘れていた。それから2年経ち、思わず再会することができた。それもこんな近くで。
Another installation was "Turbulent" (1998) by Shirin Neshat, a Iranian, now NY-based artist. It was in the innermost room on the third floor, that I missed when I visited MCA last time. Two different visual images are projected onto opposing walls. On one side, a male singer is singing a folk song to full male audience. On the other side, a woman wearing a hijab is standing with her back to the male screen. When the male singer finishes his song, and the big applause diminishes, the woman eventually starts singing in turn. She has no audience. Her voice, that makes no words, sounds rather like howl and scream than song. From the other wall, the male singer and audience are staring at her blankly, yet, at the same time, tensely. In between two walls, we, the viewer of this installation, assimilate to-and-fro into view of each side. According to the notes, women are forbidden to sing in public by the law of Shiite Islam. Without such a concrete context, however, being physically placed in between the contrast --man/woman, music with lyrics/scream that makes no words, full audience/empty seats, bright venue/dark venue, white clothes/black hijab, staring/turning her back-- we witness the cleavage and distance between two, and its meaning. Since it rung a bell, I checked the artist when I came back. As I suspected, I had seen a little of Neshat's works before. No, more accurately, I missed an opportunity to see her works thoroughly. When I visited Hiroshima in Summer 2005, I went to Hiroshima City Museum of Contemporary Art. There, the special exhibition of Neshat, who was awarded Hiroshima Art Prize of the year, was scheduled from the next week. I remember the fliers of the exhibition and some photo books of her in the museum shop. Though I got interested, I left it and forgot. Two years have passed, and I could see her works again, to my greatest surprise, in my neighborhood.

5.24.2007

Two Installations at MCA Chicago, 1


先日シカゴ現代美術館で2つのインスタレーションを見た。1つはしばらく前から展示されている作品でチリのアーティスト、Alfredo Jaarの"Geography=War, 1991"(地理=戦争、1991)。暗い部屋の中に6×6に並べられた計36個の錆び付いたドラム缶。そのすべてに水がいっぱいにはられており、その上に覆いかぶさるように写真のアクリルパネルが吊ってある。ドラム缶の周りを歩くと、水面にアフリカの貧しい村を撮った4枚の写真が反射して見える。作品に添えられた解説によると、1987年から88年にかけて、ナイジェリアのココという村に35000トンの発癌性PCB(ポリ塩化ビフェニル)を含む汚染排水がイタリアから運び込まれた。村の農民が月に$100という値段でこれを預かることに同意したのである。しかしこの有害性についてきちんとした説明はなく、排水は地面にあけられてしまったり、また自然に蒸発したりして有害物質が環境中に放出された。その後村人は深刻な健康被害に苦しんでいる。アフリカやアジアなどの貧困地域がこのようにわずかばかりの金銭と引き換えに、先進国の「やっかいなゴミ」の捨て場所になっている。しかしそのわずかな金銭は、ときとしてその国のGNPをも上回るのだそうだ。ドラム缶の周りを歩くと、その水がもし毒物だったらという恐ろしい想像が耐え難いほど現実的にせまってくる。こぼれたらどうしよう、触ってしまったらどうしようという思いが、水だとわかっていながら、どうしても消えない。しかし表面に映るココの村人の目線が、そんな自分の想像ゲームを見抜くかのようにつきささり、申し訳なさといたたまれなさで足がすくんでしまう。
I recently saw two installations at MCA Chicago. One is the installation "Geography=War, 1991" by a Chilean artist, Alfredo Jaar, which has been displayed for a while. In a dark room, 36 rusted barrels are placed in 6x6. All of them are filled with water, over that a photographic acrylic panel is suspended from the ceiling. When you walk around the barrels, you can see on the surface of water reflected four images of a poor village in Africa. According to the notes, from 1987 to 1988, 35000 tons of toxic water contaminated with carcinogen PCB from Italy was brought in Koko, Nigeria. Local farmers agreed to store them for $100 per month. Not being properly explained its danger, however, they spread toxic water over the ground sometime. Besides, water naturally evaporated, and toxic substance was released into the environment. Since then local people have been suffering from serious health problems. There are so many cases like this in Africa and Asia. Deprived area has become the dumping place for "onerous waste" of the developed countries in exchange for measly sum. The measly sum, however, sometime exceeds the total GNP of that country. Walking around the barrels, I was overwhelmed by the unbearably scary imagination, what if this water is toxic. I could not shake concerns, what if this spilled out or I touched this, even though I knew it was just water. Yet the eyes of local people on the surface penetrated my imagination game, and I got paralyzed with guilt and embarrassment.

5.21.2007

The Pope of Slow Food


スローフードの創始者で協会会長のCarlo Petrini氏の講演会が土曜日にシカゴであった。ここのところスローフードづいているが、本当に偶然である。新著のプロモーションの一環ということだが、お話は大体基本的なスローフードの理念と活動の紹介。先日の授業でスローフードシカゴ支部長からより詳しくお話を伺った私たちにとっては初めて耳にするというようなことではなかったが、Petrini氏のユーモラスでチャーミングな話し振り(それもイタリア語での)にすっかり引き込まれてしまった。特に印象的だったのは彼がはっきりと「消費者 (consumers)」という概念は嫌いだと言ったことである。ここ数十年の間に突然現れた言葉で、それは大変傲慢で一方的で、権力的であると。わたしたちは消費者ではなく、「共同生産者 (co-producers)」にならなければならないとのことである。やはり生産者との連帯なくして、食のシステムを変えることは不可能だし、なにより食の快楽はありえない。

広い会場を見渡して気づかざるを得なかったのが、聴衆の年齢、人種、性別構成である。圧倒的に白人の中高年層、また女性が多かった。これはPetrini氏、またシカゴ支部長のお話にもあったスローフードに対する誤解に深く関連していると思う。Petrini氏の新著の副題は"Why our food should be good, clean, and fair" (なぜ私たちの食べ物はおいしく、きれいで、そして公正であるべきか)であるが、このfairという概念が通常、美食といったときに連想されることからは正反対なのである。

80年代に運動が誕生したときにスローフードは保守とリベラル、双方から攻撃をうけた。イタリアにおいては歴史的に「料理アカデミー (l'Accademia Italiana della Cucina) 」という、富裕層・著名人を中心とし政治的にも強い影響力をもつ団体が美食という概念を代表してきた。これに反してスローフードは、同じく食の快楽を追求しつつも左派にそのルーツを持っている。しかし左派の多くの運動家たちには食の快楽というアイディアは馴染みがないどころか、ブルジョア的退廃としてとらえられていた。質の良くおいしいものを食べるということは、少なくとも最低限のレベルにおいて、すべての人間が享受すべき権利であると私も思う。大げさにいえば、スローフードはこの当然の権利に対する左右からのイデオロギーに挑戦しているのではないだろうか。

これは私のクラスで気づいたことなのだが、リベラルな学生ほどファーストフード批判に懐疑的な傾向があった。理由は、多くの低所得者層にとってファーストフードは食事の数少ない選択肢のうちの一つであるのに、それを自分たちのような中流階級の学生が不健康だ、非衛生的だと非難するのはあまりに一方的ではないか、というものである。確かに圧倒的に恵まれた立場にいる者が、そうではない人たちがなけなしのお金をはたいて手に入れた食べ物についてああだこうだ言うことの高慢さにとても繊細に気づいていると思う。しかし、ではそのまま現状を放っておけばいいのか、とも思う。中上流階級である自分たちはファーストフード(だけでなく、農薬や化学添加物などを使って大量生産される食品)の弊害を知っており、おそらくそれを食べることをなるべく避けているにも関わらず、貧しい人たちがそれを食べるのを「彼らにはそれしかないのだから、何も言うまい」と見守っていることは、「奴らにはそれでいいだろう、食べさせておけ」と言うことと、実はあまりかわらないのではないか。

貧しい、飢えている人たちに配られる食事はいつもカロリー単位で表現されるけれども、例えば国連が提供する難民キャンプでの食事は、日本で普通に売られているドッグフードよりもひどいものだという話をどこかできいたことがある。飢えている人々に対してとにかく量を確保するというその必然性はわかるのだ。わかるのだけれども、人間の食べる権利は量だけでなく質においても尊重されなければならないのではないかという疑問を、実はずっと以前から、持ち続けている。

いずれにしろ、会場の聴衆を見渡して、これはスローフード運動の今後の最大の課題になるだろうと思った。今日明日の食事の心配をしている人たちに、どうやってこの運動は訴えかけていけるのか。食のシステムを変えるという長期的な目標の実現過程において、どうしたら現在一番その弊害を被っている人々の緊急の要求に応えられるだろうか。

非常に考えさせられ、なおかつ楽しい講演会であった。最後にPetrini氏と一緒に写真をとれたことは、一生の思い出になるだろう。なにしろスローフードの「ローマ法王」とも称される人であるのだから。

5.18.2007

Nikki McClure: Art, Food, and Politics. Indeed.

昨日ゲストの方 が様々なスローフードの資料やパンフレットなどを持ってきてクラスの皆に配ってくださった。その中に水をはったバケツを持って畑を歩く農夫の腕が描かれた、プロモーション用絵はがきがあった。白黒と薄い黄色だけを使った、力強くそれでいてどこか優しいこの絵に一目見て強く魅かれた。コントラストのはっきりした太い線で描かれており、版画のようである。どことなくプロレタリア運動においてポスターや雑誌の表紙によく使われた絵の感じに似てはいるのだが、プ ロレタリア・アートの、あの怒りと闘いの決意からくる激しさはない。とにかく気になって絵はがきに書いてあった情報をもとに検索してみると、Nikki McClureというワシントン州在住の切り絵作家の作品であることがわかった。そう、版画ではなく切り絵だったのである。彼女のウェブサイトのギャラリーやオンラインショップを見て、もう見れば見るほどますます好きになってしまった。切り絵の絵柄そのものからも、作品につけられたタイトルからも、彼女がまさに芸術、 食、そして政治 = art, food and politics を一体のものとして考えていることがよくわかる。早速メールを出していつかシカゴに来ることがないか尋ねてみた。返事が来るのを楽しみに待っているところである。
Yesterday, the guest brought for us various kinds of Slow Food materials including booklets, newsletters, fliers, etc. Among them, there was a bunch of promotional postcards printed with the image of farmer's arm, who is walking in the field with water-filled buckets. Drawn only in black, white and very light yellow, this bold, yet, at the same time, genial image immediately captured me. It was drawn with contrasty thick lines, and looked like an engraving. It reminded me those images often used for posters and journal covers in the Proletarian Movement, however, it bore no intensity of Proletarian arts, that were from the anger and determination to fight. Anyway, I was just so interested and googled with the information on the postcard. And I found that it was a work of Nikki McClure, a Washington-based paper cuts artist. Yes, it was a paper cut picture, not an engraving. Browsing her website gallery and online-shop, I've become more and more enchanted by her works. From the theme and construction of pictures, and also from the title of pictures, I can tell that she sees the very art, food, and politics as things inseparable. I went straight to email her asking if she had a plan to visit Chicago someday. I am now looking forward to hearing from her.

5.17.2007

Slow Food: Delicious Time


今教えているクラスにスローフード協会シカゴ支部の方をゲストスピーカーとしてお招きした。学生には前もってスローフード運動の創始者Carlo Petriniの"Slow Food: The Case for Taste"を読んでの感想と質問を書かせたのだが、その半分はスローフードに懐疑的・批判的で、中にはゲストの方に対してあまりにも失礼というようなものもあり、お見せするのがためらわれるほどであった。それでもゲストの方にはお約束していたし、また学生たちもそれを承知で敢えて書いていることなので、恐縮しながら前日にお送りした。実際ゲストの方も憤っておられて、ただ、スローフードの考え方を広めるためには必ず出会う誤解と偏見だから、こうして送ってもらって自分たちも勉強になったとおっしゃってくださった。そんなわけで授業が始まるまで、実は内心ひやひやしていたのである。

ゲストの方と連れ立って教室に入ると、賢い、そして若い学生たち(18から20歳前後である)は相変わらずの神妙さを装った顔つきで座っていたが、「自分の子供時代、オーガズムを感じるほどに何かが美味しかった初めての思い出(your first orgasmic gastronomic memory)はありませんか」という質問でお話が始まると、途端に心からの笑顔に変わった。実家の近くで100年以上も続いているレストランでの食事の話、家族と行った海辺の町で食べたシーフードバーベキューの話、そういうことを思い出しながら語る学生たちはほんとうに楽しそうで、私など8週間も彼らと過ごしてきたのだが、え、こんな顔するのか、と驚いてしまったほどである。

スローフードは世界中にある数々の運動の中で、唯一「快楽」を 目標にしている運動であるとのこと。食事は快楽の体験であり、その体験は知的で責任を伴うべき(responsible and intellectual experience of pleasure)であること。目標はただ美味しいものが食べたいということにつきるのだが、そのためには環境や社会に目を向けなければそれは得られないこと。スローフード運動はオーガニック運動でも、ベジタリアニズムでも、健康食運動でもない。野菜、肉、油、甘いもの、カロリーが高いもの。何であっても、それが環境に配慮した持続可能な方法で、手間ひまをかけきちんと作られており、まさにそのことによって美味しいのであれば是非とも食べたいと思うこと。つまりはエコ・美食(eco-gastronomy)であること。そうやって一つ一つ説明していただくことに学生たちは乗り出すようにして聞き入っていた。

スローフードは上流階級のエリート主義的な運動ではないかという質問にもお答えいただいた。これはスローフードそのものに懐疑的な学生からも、理念としては賛成するけれどもという学生からも多かった質問である。ゲストの方によると、どんなに強調してもしきれないほど、それはまったく誤りだとのことである。ファッションとしての美食ではなく、農業の方法と食品生産・流通のシステムに注意を払い、地元の新鮮なものをなるべく地元で消費することがエコ・美食の本質にある。小規模・零細農家に支払う金額は、その労働に見合ったものでなくてはならない。さらに貧困層の食卓を支えているとして、大量生産された安価な食品やファーストフードなどを擁護する意見があるが、世界中のどの国の貧困層も、アメリカの貧困層が食べている食事よりはるかにまともなもの —それは確かに貧しい食事ではあっても— を食べているという事実。つまりスローフードは美味しく質の高い食事はすべての人に公正でなくてはならないと考えている。そのために、単なる金持ちの消費主義に陥るのではなく、生産者と連帯してシステム自体を変えていくことが何よりも大切なのだということであった。また一つのアドバイスとして、「食べ物に払うお金を増やし、食べる量を減らす」(Pay more, Eat less)をいただいた。日本語で言えば「量より質」ということになると思う。質の悪く安い食品を大量に食べるかわりに、質の良く高い食品を少し食べるようにすれば、全体として使う金額は変わらないし、また健康的でもある。これは食べ過ぎや肥満を社会問題として抱えるアメリカにおいては、何よりも単純明快な金言ではないだろうかと思った。

学生たちも積極的にディスカッションに加わって、80分の授業はほんとうにあっという間であった。何よりもうれしかったのは、前日に大変不遜で失礼なコメントを書いてきた一人の学生が、授業が終わる頃には誰よりも興味津々で、質問したり深くうなづいたり、さらにびっくりしたことには授業が終わった後、個人的にゲストの方に歩み寄って話しかけ、最後には固く握手をしていたことである。「楽しかった?」と聞くと「うん」 とちょっと照れたような顔をして帰って行った。

5.15.2007

Gregory Colbert, "Ashes and Snow"

Gregory Colbertの"Ashes and Snow"という写真集を図書館で借りてみた。東京で開かれたColbertの写真展が好評だったようで、特に彼が写真を和紙に焼いていたことが私の母には印象的だった様子。実際この写真集もごわごわした紙でできていた。この和紙(様の紙)へのこだわりに思わず身構える。大体は子供と動物、主に象とクジラが瞑想しているようなポーズをとっている写真。一見美しくはあるが、これほどまでして作り込まれたエキゾティシズムと神秘性にしらけてしまう。意図的な被写体の選び方は、—つまりそのように演出された構図に配置されるのは動物と子供、そして女性、しかもみなアジアあるいはアフリカの、であるということ—、写真家が信奉する「純粋さ」の本質と問題をあまりにも大っぴらに示していて、こちらの居心地が悪かった。ちなみに"Ashes and Snow"はColbertの現在も進行中のプロジェクトであり、ロレックス・インスティテュートに資金援助を受けている。
I checked out from the library "Ashes and Snow," a photo book of Gregory Colbert, hearing that Colbert's exhibition in Tokyo was very successful. My mother was impressed by his use of Japanese Paper (washi) to print photo images. Indeed, the photo book I checked out was also made of rough paper, though I am not sure if it was washi. This fetishism in old-style paper made me feel somehow wary. Most of the photos feature children and animals, mainly elephants and whales, that are posing as if they are meditating. They look beautiful, at first glance, however, such entirely staged exoticism and mysteriousness is just over the top. And Colbert's intentional choice of objects -- situated in the stage are animals, children and sometime women, all of them are Asian or African -- reveals, almost too obviously, the nature and problems of "purity" that he believes in. I was just uncomfortable. As a footnote, Colbert's "Ashes and Snow" is his on-going project that is funded by the Rolex Institute.