6.21.2007

Nuclear Power, Beauty Contest, and Mink Coat


6月19日にモスクワで開催された「ミス・アトム2007・インターナショナル・ビューティーコンテスト」の受賞者の写真がロイターより配信された。2月から3月までのオンライン投票によって受賞者は決定されていたようなので、昨日のイベントはおそらくその授賞式だと思われる。公式サイトにはコンテストの目的や趣旨のようなものは書かれていない。参加者は18歳から35歳までのロシア原子力庁の関連企業・団体、旧ソ連国家の原子力関連団体、研究所で働く女性、および原子力関連教育機関の学生。公式サイトにエントリーした297名の顔写真とプロフィールが掲載されている。優勝したエレーナ・カメンスカヤさんは1983年生まれ、連邦原子力局管轄のEleronという安全装置の開発製造に携わる組織に勤務している。賞品はミンクのコートだそうだ。今年はチェルノブイリ原発事故から21年目。
News photos of "Miss Atom-2007 International Beauty Contest", which was held in Moscow, June 19, was released via Reuters. The winner was already announced based upon the on-line votes between February and March, thus yesterday event must have been the awarding ceremony. There are no statement of purpose of the contest on the official website. Contestants are 18 to 35 years old women working at Russian Atomic Energy Agency's enterprises and organizations, nuclear power entities of former USSR states, research institutes and students of nuclear educational institutions. Pictures and profiles of 297 contestants are available on the official website. The first prize winner, Yelena Kamenskaya was born in 1983, and is currently working at Eleron, an institute under the control of Federal Atomic Energy Agency which develops physical security systems. The prize for the first place is a mink fur coat. This is the 21st year after the Chernobyl disaster.

6.17.2007

Born Into Brothel


ドキュメンタリー映画 "Born into Brothel"(売春窟に生まれて)を見た。監督はZana BriskiとRoss Kaufmann。写真家であるBriskiはカルカッタの売春婦に関心を持ち、1998年から売春窟で暮らし始める。よそ者としてではなく生活者として人々と接してはいても、売春窟の光景をカメラにおさめることは非常にむずかしい。代わりにBriskiの目をとらえたのは町中を走り回る売春婦の子供たちだった。彼女は子供たちに一人一台ずつカメラを渡して自由に写真を撮らせることを思いつき、その講評を兼ねながら毎週写真の授業を行った。子供たちはそれまでカメラなど触ったこともない、まったくの初心者である。カメラも何の変哲もないすこし古そうな型のもの。にもかかわらず、まるでプロが撮ったような写真ばかりで驚かされる。

彼らは明るく屈託はないけれども、母親の仕事、そしてあと数年もすれば自分たちも客をとらされることを知っている。「無邪気」という言葉はもっともむなしい。「子供らしさ」など許されも期待されもしない環境で生きて行かねばならない世界中の子供たちのことを改めて考えさせられる。そんな彼らが、しかし、写真を撮るという行為によって少しずつ変わっていくのだ。子供たちは今までとはまったく違う方法で世界を見はじめる。レンズを通してのぞくことで、人や風景や物に新鮮な興味を持ち、自分と自分をとりまく世界との間にあらためてつながりを見いだしていく。Briskiと友達になぜそれを撮ったのかうれしそうに説明する。子供たち自身の変化は、写真のすばらしさよりも、奇跡的だ。

そんな彼らをなんとか助けたい一心でBriskiは奔走する。ニューヨークでの展覧会に始まり、写真集、アムネスティ・インターナショナルのカレンダー、国際コンクールと、子供たちの写真を世界中に向けて発表し、そうした売り上げで基金を作り、彼らを売春窟から離れた寄宿学校に入れようとするのだ。そういう彼女を見つめる子供たちもまた興味深い。彼らも本当はきれいな良い学校で勉強し生活したいのだ。そしてできることなら自分の母親と同じ人生は歩みたくないと思っている。しかしBriskiの計画に大っぴらに喜んだり興奮してみせたりはしない。子供たちの家族は教育にはほとんどまったく関心がない。それよりも一刻も早く彼らが客をとれるようになることを望んでいるのだ。子供たち自身も長年の売春窟での生活によって、生まれたときから決められていた自分の運命が変わるかもしれないということがなかなか実感できないようでもある。困難を乗り越えて最終的に寄宿学校に入ることができた子供たちの、あの晴れやかな顔にはほんとうに心を打たれる。—そして映画の最後の、そのうちの何人かは家族によって売春窟に連れ戻された、というテロップにはもっと心が痛む。

DVDの特典映像にそれから3年後の子供たちの様子が映っていた。寄宿学校の子供は流暢な英語を話せるようになり、売春窟に戻った子供も地元の学校に通いながら絵はがきを作る仕事をしたり、改めて寄宿学校に願書を出したりしていた。奨学金をもらいアメリカの名門高校へ進学することになった子供もいた。皆元気そうで、自分の運命を変えていく力を信じているように見えた。BriskiとKaufmannは"Kids with Cameras"(カメラを持った子供たち)というNGOを作り活動をさらに広げていた。

"Born into Brothel"は2005年アカデミー最優秀ドキュメンタリー賞を受賞している。日本では未公開。これから公開される予定もないとのことである。

6.10.2007

Henry's Farm: Non-USDA Certified Organic


先日授業に来ていただいたスローフードシカゴの支部長の方と帰り際にお話をしていて、たまたま日本のキュウリの話になった。アメリカのキュウリはヘチマみたいに太くて皮が硬くて、日本のものと全然違う。カナダ産の種無しキュウリ(Canadian seedless cucumber)とかピクルス用のbaby cucumberなどは、普通のよりもまだ近いといえば近いけれど、やっぱり違う。私はキュウリにお味噌をつけてまるかじりするのが子供の頃から大好きなのだけれど、アメリカに来てからはああいうキュウリ自体がなかなか手に入らず、夏になるとあれが食べたいなあとよく思うという話をした。支部長の方は知り合いの農家に日本の野菜を作っている人がいるんだけれど、と話しかけたところで駐車場に着いたのでそのまま別れてしまった。

それきりになっていたのだが、覚えていてくださったのか、数日前にメールをくださった。その農家の方はHenry Brockmanさんといって、Evanstonの朝市(Farmer's Market)に毎週土曜日にお店を出しており、支部長さん自身もときどき手伝いに行っているのだそうだ。曰く、完全なオーガニックで、今まで知り合ってきたどんな農家よりもすばらしい農業をしており、何より一番大切なことに、彼の野菜はものすごく美味しいのだとのこと。

早速Henryさんのウェブサイトを見ていて、彼の育てている品種の多さ(例えばレタス一つとっても30種類以上ある)、そして日本野菜の多さにびっくりしてしまった。奥様が日本の方らしく、Henryさんご自身も日本に住んでいたことがあるそうだ。さらに彼のオーガニックに対する徹底ぶりと誇りにも驚いた。彼はオーガニックという言葉を単なる無農薬、有機栽培を超え、持続可能で生物多様性に基づいた農法ととらえている。1990年代から一貫して完全オーガニック農法でやってきたHenryさんは、ずっと認定機関による認証をうけてきた。その頃からまったく変わらない方法で生産しているにも関わらず、現在彼は公的なオーガニック認証を受けていない。

2002年のNational Organic Programの開始により、現在アメリカにおけるオーガニックの認証システムはUSDA(アメリカ農務省)が管轄している。それ以前まで様々な機関や団体によって行われていた認証を一元化したことにより、オーガニック表示に対するある程度の信頼性を保証できるようになった一方、その官僚的な認定基準に対する批判もある。特にWalmartのオーガニック製品展開の開始に見られるように、オーガニック市場の成長が著しい最近では大手食品・流通企業が参入し始め、それに伴いUSDAに基準を緩和するよう求める強力なロビー活動も問題となっている。HenryさんはこのようなUSDA認証の混乱と不徹底な基準への抗議の意味もこめて、認証申請をしていない。National Organic Programにより、USDAの認証を受けていない者が「オーガニック」と表示することは法的に禁じられている。そこで彼は "Non-USDA Certified Organic"(非・アメリカ農務省認定オーガニック)という、ひねりのきいた文句を掲げているわけだ。

Arlington Heightsのミツワ(元ヤオハン)より遥かに近く、しかもそんなにも安心で美味しい日本の野菜が手に入るとあらば、と早速土曜日に行ってみることにした。マーケットは7:30〜1:00とのことだったので、犬の散歩をして、朝食をとり、天気のいい湖岸沿いの道のドライブを楽しみながらのんびりエヴァンストンに着いたのは10:30頃だった。Henryさんのテントはすぐに見つかり、支部長さんもいらした。私たちを見てお、来たのという感じに軽く驚かれたあと、第一声は「遅い!」と。「大体売れちゃったよ。遠いのはわかるけれどこれからは7:00までに来ないとだめだ。」と言われてしまった。実際お目当てのシソと小松菜は売り切れており本当にがっかりした。水菜は最後の一把を買うことができた。他に色々残っている野菜から、Blushed Butter Cosという種類のレタス、日本のかぶ、わけぎ、ニラ、葉付きのニンニク、ほうれん草など買い物袋一杯買って、$19だった。高級オーガニックスーパー、Whole Foodsで買った場合の1/2から1/3くらいの値段である。

支部長さんに紹介していただいてHenryさんともお話をさせていただいた。最初英語だったがそのうちに彼の方から非常に流暢な日本語にかわり、あとはずっと日本語で。お子さんたちのためにご家庭では日本語しか話されないのだそうである。「いろいろあるよ。枝豆はもうすぐ。多分2、3週間後くらいから。」とのこと。とても素敵な方だった。隣にはお姉様がハーブとフルーツの、こちらも完全オーガニックのお店を出していたが、やはり完売で残念だった。帰り際支部長さんに、「シソが欲しければ7:00に来ること」ともう一度念を押された。

というわけで週末かけて野菜を沢山食べたのだけれども、誇張なく、ここまで違うものかとたまげてしまった。スーパーのオーガニック野菜とはレベルが全く違う。まず洗っていて気付くのがそのイキの良さ。葉っぱがシャンとして張りがあり、野性的な色合いの美しさがある。大きな虫が出てきたことも付け加えておきたい。(そのあまりの元気のよさに潰してしまうのはしのびなく、外に放したら勢いよく飛んで行った。)そして味。濃く、豊かで、香りがあり、食べ終わってから数時間経っても口の中にその味わいが残っているような気さえする。何より感動したのが、写真のほうれん草。なんと根元が赤いのだ。こちらに来てから根元の赤いほうれん草を見た記憶があまりない。その味といったら、絶品、という以外言葉が見つからない。正直、支部長さんに言われたときはそんなの無理と思っていたのだが、この味を知ってしまった今はなんとしても7:00に行ってシソを手に入れねばという気持ちである。

色々いただいてotoが言ったことは、「野菜もお刺身と同じだ」。本当にそうだと思う。

6.04.2007

2007S/S Comme des Garcons: Politics of Formanism


ファッション批評という分野は非常に専門化されていてとても私などが口出しできるような雰囲気はない。特に川久保玲とComme des Garconsについては、門外漢が何か言おうものなら、ファッションセンスどころか哲学性の欠如の問題として攻撃されかねない。何十年か前の吉本隆明と埴谷雄高の論争はComme des Garconsの神格化に、結果的に、貢献したのだといえよう。そのようなリスクを知りつつ、敢えてこれについてはどこかで書いておきたかった。2006年10月のパリ・2007春夏コレクションにおけるComme des Garconsである。主題はキュビズム、メイン・モチーフは日の丸であった。

このコレクションについての各新聞社の記事は概ねとまどいをはらんでおり、読売は「デザイナーの現状認識かそれとも希望か」、毎日は「政治家への最大の皮肉か」といったところ。朝日にしても歯切れが悪く、白塗りメークやくずれた日本髪によって「近代日本の西欧化のちぐはぐさを揶揄」し、「批評性を保ちつつも日の丸に象徴された近現代性を引き受けようとする試みだった」、さらにこれは「日の丸や日本の美しさを安易に語ることの警鐘でもある」としている。果たしてそうだろうか。朝日の記事は何か本当に言いたいことを言えずに、なんとかComme des Garconの批判だけは避けようと必死なようにも見える。一方ファッション雑誌の代表格Vogue Japanは、そのモチーフの読み解きには参加せず、「何も日の丸のためにというばかりでなく、日本は国をあげて、もっと『コム デ ギャルソン』を応援してもいいのではないだろうか」と締めくくっている。

このコレクションについての川久保自身の言葉にやはり注目せざるを得ない。「デザインとして完ぺきな美しさを持つ日の丸に改めて取り組みたかった」、「日の丸は究極のシンプルな美しいデザイン」、「(その美しさにも関わらず)送り手も受け手も素直になれない」。実際日の丸モチーフのTシャツには"radiant nature(輝ける自然)"、"perfect beauty(完璧な美)"、"simplicity(シンプルさ)"などの文字が踊る。言葉が発せられた文脈がわからない以上断定は避けるべきなのかもしれないが、しかし結局川久保の言っていることは単なる形式美の礼賛にすぎないのではないか。テーマがキュビズムということだから、日の丸を脱/再構築するという試みだったのかもしれないが、できあがった服を見る以上、私にはそれは全く感じられない。「いろいろあるにも関わらず、日の丸はやっぱりデザインとして美しい」ということは脱構築なのか。

つまるところ、川久保のやろうとしたことは日の丸の非政治化なのだと思う。白地に赤い丸という、その形のみについてただ美しいといいたかったのだろう。その形が持つ意味を一切問うことなしに。

しかしその行為自体の政治性、—意味を問わず日の丸のデザインを美しいと言うことの政治性— について、彼女が一体どう考えているのかがわからない。もしなんの政治性も持たないと思っているのだとしたら、あまりにも浅慮といわざるをえない。あえて今、戦後史上もっとも戦前体制の思想に近づいている政権下の日本において、日の丸の美しさを、たとえ純粋に美学的な見地からであれ、謳うことが政治的でなくて一体何であろうか。新聞記者たちはなぜこれほどまで寛容に、「川久保特有のアイロニー」とか「安易に美しいと言うことへの警鐘」などと —彼女自身の言葉を曲解してまで— 庇うのか。

意味を持たない純粋な形式美というものが本当に存在しえるのかという疑問が沸く。確かに意味は形を作った者の意図に反して後付けされうる。しかし同時に意味は形を固定しもするだろう。また当然ながら形自身も意味を喚起する。川久保は日の丸の美しさに対するためらいを「素直ではない」というが、おそらく彼女にとっては、逆に日の丸を迷わず美しいと言い切る右翼も「素直ではない」のだろう。結局「素直」とは、あらゆる意味や政治性に無関心な態度ということである。ただしその態度は社会的真空状態の中にあるのではない。ある社会的・政治的コンテクストの中における無関心は、それ自体が政治的な意味を持つ。

意味は形を作った者の意図に反して後付けされうる、と書いた。2007年2月、日本人女優として49年ぶりのノミネートを受けた菊池凛子は、アカデミー賞授賞式に旅立つ前の成田空港での記者会見にComme des Garconsの日の丸染め抜きコートを来て現れた。服装について尋ねられた彼女は「日本人としての意識を持ち続けている」と答え、翌日各紙の見出しには「凛子、日の丸を背負う」の文字が踊った。川久保のデザインは発表から数ヶ月、すでに「美しいシンプルな造形」ではなくなっていた。

6.01.2007

Marie-Ange Guilleminot, White Clothes of Hiroshima


以前のエントリーにも書いたが、2005年の夏に広島市現代美術館を訪れた。そのときの展示がMarie-Ange Guilleminotの特別展だった。Guilleminotは1960年生まれのフランスのアーティストで、布地を使った作品を多く発表している。1998年に広島を訪れた際に平和記念資料館で見た被爆遺品とそれを撮影した土田ヒロミの写真集「ヒロシマ・コレクション」に衝撃をうけた彼女は、被爆遺品の服、カバン、帽子を再現した"Les Vetements Blancs"(白い服)という作品を制作した。中庭に面した板張りの展示室には、遺族の了承を得てとられた細かい採寸のスケッチと土田ヒロミの写真集、そして遺品の現物が並べられていた。興味をもちつつ、同時になぜ再現なのかという気持ちでそれらを眺め、ふと目を移すと、ハンガーにかけられた真っ白いワンピースや半ズボンが。日当りのよいスペースにそこここに吊るされてまるで洗い立ての洗濯物を干しているようだ、と思ったその瞬間、涙があふれてきた。ああ、この人たちはあの朝まで普通に生きていて、あの服を洗濯して、ちょうどこんな風に干していただろう。それまで何度となく見た遺品の写真、平和資料館で現物を目の当たりにしてさえ、これほどまで心を動かされたことはなかった。焼けこげたぼろぼろの遺品、それがその人が「生きていた」というまぎれもない証なのだということを、Guilleminotの真っ白な服はまっすぐに私の心につきさしたのだった。木綿のワンピースのレプリカに近寄ってよく見ると、あてられた継ぎまでもが正確に再現されており、また、きっとお母さんがあてたのだろうなとか、どんな女の子だったろうとか想像し、悲しくて悲しくてたまらなかった。それまでは生きていた人たち、つまりその瞬間に死んだ人たち、を心から想って、美術館の真ん中で泣いた。被爆世代が失われつつある現在、フランス人の若いアーティストは、想像力による追体験の可能性と力を教えてくれた。
As I mentioned before, in Summer 2005 I visited Hiroshima City Museum of Contemporary Art, where the special exhibition of Marie-Ange Guilleminot was held at that time. Guilleminot is an French artist born in 1960, who has presented lots of artworks using fabric. She visited Hiroshima in 1998. Deeply impressed by the belongings of Atomic bomb victims which are now displayed in Hiroshima Peace Memorial Museum, also by the photo book of those belongings by Hiromi Tsuchida, Guilleminot created the replicas of victims clothes, caps, and bags, titled "Les Vetements Blancs". In the courtyard-facing wooden floor gallery, there were displayed her sketches of belongings measurement which were obtained upon the consent of bereaved families, the photo book of Tsuchida, and original relics. I saw them with interest, yet at the same time, wondered why replicas. Then I shifted my eyes to find white dress, pants, and shirts, here and there, put on hangers. I thought that they were as if freshly-washed laundries hung out, and on that moment, tears filled my eyes. Alas, these people must have lived normally until that morning, washed their laundries, and hung out them, just like that. So many times I had seen pictures of relics. Even I had seen the originals at the Peace Memorial Museum, however, I had never been touched so deeply. Guilleminot's white clothes led my heart to confront with that those battered burnt relics were the very testaments that those people had been "living". When I closely looked at the replica of cotton dress, I found that even patches were precisely replicated. I imagined again that the girl's mother must have patched the dress, and what kind of girl she was, and I was overwhelmed with grief. I cried in the middle of the gallery thinking of peoples who had been alive, namely, who had died at that moment. In present time when the generation of victims is gradually gone, the young French artist taught me the possibility and power of imagination to relive the experiences.