11.24.2012

focus: Hito Steyerl at Art Institute of Chicago

ヒト・シュタイエルによる6つのビデオインスタレーション展。今日きちんと見ることができたのはAdorno’s Grey (2012)、Abstract (2012)、In Free Fall (2010)の3作品だけだが、期間中に是非もう一度行って残りの3作品も見なければと思っている。それほどよかった。ドキュメンタリーとインタビューの手法を用い社会経済構造を考察していく作品は彼女の冷静な批判精神に基づいているが、それだけでなく彼女が非常に純粋な好奇心と探究心をもってテーマに向かっていく姿勢を感じた。

Adorno’s Grey。アドルノが教鞭をとっていたフランクフルト大学の大教室は「集中力を高めるため」に壁が灰色に塗られていた。その後上塗りされた白いペンキを落とし、この灰色の壁を修復しようとする作業の映像。その映像に学生運動のさなか、反権威主義の理論家であったアドルノ自身の権威主義的態度を女子学生が講義中にストリップによって批判したという事件のインタビューが重ねられる。理論は灰色である、というファウストの引用。灰色というモチーフを通じて、学問と実践という今私自身が抱える問題を深く考えさせられた。

Abstractはクルド族の抵抗運動に関わり殺されたシュタイエルの友人アンドレアにまつわる作品群の最新作ということだ。並列された2画面はそれぞれ入れ替わりながらアンドレアが殺された場所と、その兵器をつくりだしたロッキード本社の映像を映し出す。shotとcountershot。出来事の向こう側とこちら側。一方の視点と他方の視点。

In Free Fallはボーイング707航空機をめぐる話。しかしそれを通じて見えてくるのは複雑にグローバル化した世界経済の実態である。旅客用の飛行機がイスラエルに転売され軍事用航空機になること、ある機体はハリウッドの大作映画の大爆発シーンに使われたこと、 こうした人為的な爆発だけでなく事故により墜落した機体も、そのガレキは主に中国に買い取られ、特に再生可能性の高いアルミニウムは何度も何度もリサイクルされ、DVDなどまた商品として生まれ変わり世界中に流通することなど。墜落事故の場面のあとに、アルミニウムは何度でも再生可能というシーンが流れると、「リサイクル」という言葉にこれまで抱いていたイメージががらっと変わってしまう。人の命は一度失われたらそれまでだ。でも機体は、物質は、いくら損傷しようとまたきれいに再生することができる。また経済的利益を生み出すことができる。その現実。

アート・インスティテュートでの展示と同時にニューヨークのe-fluxでもHito Steyerl展が開催中とのことである。

10.29.2012

アイアンシェフ:料理の鉄人復活に思うこと

かつて一世を風靡した「料理の鉄人」が13年ぶりに「アイアンシェフ」として復活したということを聞き、早送りながらざっと視聴してみた。繰り広げられるハイ・キュイジーヌの世界、確かに美味しそうだし圧倒される。しかし、これを今、フクシマ以後にやることの意味は一体何なのかと考えてしまった。例えば食材は放射能汚染検査されているのだろうか。仮に検査済みだとして「不検出」のみを使っているのか。これから続いていくにあたって、かつては紛うことなき最高級食材であった「福島の桃」がもし取り上げられるとしたら。キノコ、海藻、魚介類、栗、など放射能汚染の影響を特に受けやすいことが分かってきた食材であったら。

もはやこのような最高級食材、最高級料理を楽しめる人など、ただでさえ下り坂の経済情勢に震災によって追い打ちをかけられた日本にどれだけいるのだろう。毎日のテーブルが放射能におかされているかもしれないという不安の中、もやは現実には「美味しいもの」をめぐってお祭り騒ぎなどできないから、せめてテレビの中で夢をみるということなのだろうか。

 友人に、料理の鉄人が海外に広く輸出されたコンテンツであることを考えれば、この時期の復活は日本の食の安全性を暗に国内外にむけてアピールするためのものではないかと指摘されはっとした。3・11後、2011年7月から突如始まった感のいなめない農水省による「日本食文化の世界遺産登録」に向けたプロジェクトも思い起される。世界遺産登録検討会には「食育」に関わるメンバーも多く入っている。「食育」がすすめる「地産地消」によって、福島県の学校給食は福島県産のものを使うという方針が示され、食品の汚染を心配する保護者を中心に反対運動も起きている。つい最近(になってやっと)いわき市ではこの方針を凍結したというニュースもあった。

広告代理店を通じた後押しがあったのか、あるいは偶然なのか。いずれにしてもこの時期の「料理の鉄人」復活には複雑な思いがぬぐえない。

10.11.2012

NHKスペシャル シリーズ日本再生「"食の安心"をどう取り戻すか」

放映後ほぼ1年たってようやくだが、2011年10月22日放送のNHKスペシャル「シリーズ日本再生第2回 "食の安心"をどう取り戻すか」を視聴することができた。ずいぶん時間が経ってしまってはいるが、非常に問題の多い「狡猾な」作りの番組だと思ったので、ここに視聴記録を残しておく。

まずこれは番組制作にあたっての基本姿勢、あるいは条件や圧力によるものだと思うが、番組を通じて東電の賠償責任、政府の補償責任について一切触れていないことに強い違和感を禁じ得ない。東電のトの字も出てこない。さらに暫定基準値についても(これは昨年なので500bqのときだが)問題にしていない。

代わりに多用された言葉は風評被害である。私はそもそも風評被害なんてものがあるのか、「風評被害」とされる原因によって落ちた売上の分まで含めて東電は責任を負うべきと考えている。これは「風評被害」という言葉が公式文書に初めて載った時の考え方、決まりでもある。つまり安全性というものは一定の基準、ラインを設けて、それを超えた完全にクロのものは原子力賠償法で賠償の対象になる。ところがそのラインを下回った、けれど売れないグレーのものについての経済的損害をどうするかという問題である。たとえクロでなくてもグレーのものについても加害者が賠償すべきと、加害者の責任と生産者の救済の道を明記しているのが女川や泊、六ヶ所などの民事協定だ。(関谷直也『風評被害』)ところが福島原発事故以降、このグレーのものについて誰が責任を負うべきかといえば消費者ということになってしまった。クロではないのに買わない消費者が非合理的、身勝手と責められる、それを言い換えたのが現在使われる「風評被害」という言葉である。クロではないんだからシロだろう、と。

これは東電という言葉が一回も出てこなかったことと表裏をなすが、番組の中での消費者についての比重の大きさに関連している。消費者がするべきことはもちろん沢山あるし、責任もまったくないわけではない。消費者というのは本質的にエゴイスティックな主体であるから、とにかく安くとか、その次には安いだけではダメとか、そうした気まぐれが生産者を長年にわたって追い込んできたことは事実である。しかし、そのことをこの文脈でこういう形で持ち込んでくるのが、まず私の感じる第一の狡猾さである。

番組終わりで一人の出演者が、基準値より低くても心配な消費者は、CSA的な感じで生産者と一緒になって放射能を測定していったらいいのではということを言っている。生産者とともに安全性の確保に取り組むとは一見いい話に聞こえるが、裏を返せば、それだけ安心が欲しいなら消費者は自分でお金と時間を負担するべきということだ。当然、その余裕がないけれど心配だという消費者は置いてきぼりになる。そして最初に書いた通り、その負担は消費者だけでなく生産者も本来負うべきではないものだなぜ被害者である生産者がそこまでしなくてはいけないのか。東電や政府がずるずるごまかしているから、自分でやらなきゃしょうがないという現実はわかる。けれど現実にgive inし続けて本質論をあきらめることは、私は法的にも倫理的にも問題だと思っている。(それこそが、とりあえずはその現場に生産者としても消費者としても直接の関わりをほとんど持たない私のような人間が言い続けなければいけないことだとも。)

番組内では生産者と消費者がつながって〜というような、全体的に前向きで明るい雰囲気を通しているが、実際にはこういう論調は生産者と消費者の対立を余計深めるだろうと私は予測する。そんな余裕はない人の方が圧倒的に多いからだ。消費者とすればそこまでやらなきゃいけないの、だったら福島のものは買わない、となる。生産者とすれば自分たちはそこまでやってるのに買ってくれない、となる。現在の風評被害という考え方の問題の根本にあるのは、本来の加害者の賠償責任を問わずにこうした生産者と消費者の対立を煽る構図になっていることだと私は考える。

番組ではさまざまな事例を扱っていたが、漁業については特に疑問の多く残る内容だった。魚をこうしてとってます、漁師さんはこういう顔です、というのは、普通だったら意義ある情報だが、今問題なのは全く別のことだ。海洋汚染マップを見ればわかるとおり、三陸沖の魚については、多少乱暴な言い方をすれば、漁師さんがいい人かどうかなんて全然関係ない。熊本のお客さんはあの漁師さんがとったものなら放射能なんて気にならないと言っていたが、これは福島原発事故以後の一般的な感覚ではない。シカゴ郊外の日系スーパーの鮮魚売り場は昨年からどこでとれたものなのか、地図と一緒に表示するようになった。そういう問い合わせが多いのだろうと想像している。番組では放射能汚染について情報も付けていると短く言っていたが、数値は出さず「検査書付き」とあるだけだった。これは漁師側の問題ではなく、番組の作り方の誠実さの問題だと思う。そうしたrepresentationの仕方によってこの一連の漁業のシーンは、また生産者と消費者をつなぐ、しかも放射能問題はほぼ無視してつながるということ、結局「絆」の話をしているのだと思わざるをえなかった。生きて届いたカニをいただいて食のありがたみを知るとか、漁師のおばちゃんが郷土料理をつくるとか、そういう一つ一つのいい話も、そもそも番組の主旨であるはずだった原発事故以後の食の安心という根本がすっぽり抜けていて、ただただハートフルにおさめようとしているという印象だった。

それから細かくなるが、多数の間違い、ミスリーディングな内容も大変気になった。まずある生産者と消費者のグループが一緒に放射能測定をするという話。出てきたのはガイガーカウンターで、それをほうれん草の上に乗せて「計った」「安心」と言っている。食品の放射能汚染はガイガーカウンターでは計測できないこと、空間線量による外部被曝と飲食、吸引などによる内部被爆とではまったく違うことといった、もう今となっては多くの人にとって常識ともいえる(悲しいことに常識になってしまった)情報が理解されていないのでは、と思わされた。初めに述べたようにこれは1年も前の放送、取材はそれより前であったろうから、専門家ではない一般人がこうした知識を持っていなかった事自体は何ら不思議ではない。それよりも、そうした専門知識へのアクセスを当然持っている公共放送の作り手が、こうしたシーンをそのまま放送するという問題、そこにはこれを美談として提示したいという恣意を感じた。

また番組の最初の方に紹介されたたさまざまな新技術。まず非常に簡単に食品の放射性物質が計れるという機械だが、よく聞いていたら100bq以下は計れないとのこと。現在日本の基準は100bqに厳しくなったので、もちろんサンプル検査なので出てきてしまうものもあるが、今となっては基本的には流通しないはずのものを計れるというだけになってしまった。(そこで100bq/kgという値はどうなのかという議論にはならない。)それからMRIの技術を利用するというものはやはりガンマ線しか計れない。ということはストロンチウムは検出できない。もちろん小出裕章先生のおっしゃる通り今一番気にすべきはセシウムなので、セシウムが検出できるのはとりあえず素晴らしい。だが、もし内部被曝した場合に甚大な影響があるストロンチウムは、牛乳や骨ごと食べるシラスなどの魚に移行している可能性が高いので、それが計れないのであれば、まるで夢の技術のように喜ぶスタジオの反応にはちょっと待って、という気持ちにもさせられた。またセシウムを吸着するプルシアンブルーの技術。是非どんどん実用化して海水や地下水にたれ流れていくセシウムをどうにかして欲しいと思うが、そこで今度は吸着したセシウムとプルシアンブルーのカスをどこに捨てるのかという問題が出てくるはずだ。何でもできることはどんどんやった方がいいし、色々な技術も開発して実用化してほしいと切に願うけれど、これで万事解決!とは決してならないんだということを合わせて示すべきではないかと、放射能汚染の深刻さとはそんなものじゃないということを言わないのは、また狡猾だと思った。

それからこれはたびたび出てくるのだが、食品の放射能汚染基準についての国際比較。
EUとアメリカが高いという風にいつも出されるが、これも大変不正確である。以前ここにも書いたけれども、基準というのは全体の食料のうちどれだけのものが汚染されていると予想されるかという指数も計算式に入っている。EUの基準は基本的に輸入される食品を想定しているので10%、あれこれ色々口にした中の1割が汚染されているという予測に基づいている。よってたまに食べるものが多少ひどく汚染されていてもまあ、食生活全体でみたら少ないだろうということである。一方日本の基準は自国で放射能災害があったわけだから50%、EUの5倍だ。恒常的に汚染食品を食べることになると予測されるから、食品1つあたりの基準が一見低く見えるのである。さらにいえば、EUも福島以後、日本からの輸入食品については基準を厳しくして、他の1250bqから500bqに引き下げている。ヨーロッパでは日本産の食品をそれほど食べることはない、試算だけでいえば日本の5分の1、であろうにも関わらず、昨年の日本と同様の基準になっているのだ。

少々話の本筋とはずれるが、"アメリカのCSA"と、いかにもシンクタンク風の女性が紹介していたが、日本でも同様の取り組みは長い歴史がある。CSAみたいに「かっこよく」ないだけだ。食農体験とか食農教育は農水省自体も後押ししていたし、提携、産直、とよばれる生産者から消費者に直接送られてくるシステムも生協や消費者団体を軸に各地に多数ある。アメリカでは!というプレゼンテーションは、不正確、あるいは不勉強であるし、こうしたところにも番組の作り手の姿勢ともいえるものを感じてしまった。

食のありがたみ、生産者とのつながり、ひいては私たちの生き方、といった話は無意味だとはいわないが、でも結局そこなのだと思う、放射能汚染というものは。そういう改悛や実感、決意がまったく意味がなくなってしまう、もう全て打った切ってしまうような全然別次元の悲劇なのだ。福島の事故がおきてから私自身もときどき考えるのだが、ここまで私もずいぶん頑張って通ってつながってきた農家の畑にもし放射能が降り注いだらどうするだろうと。あの農家は本当に信頼してる、感謝してる、支えたいし、そして実際すごく美味しいことは変わらないだろう。けれどちゃんと計測されて、しかもそれが本当に汚染されていないと確認できない限り、私はここまで育ててきた関係にもかかわらず、もうあの農家のものを買うことはないだろうと思う。そのことを想像するだけで胸が締め付けられるような気持ちになる。その悲劇を直視せずに、汚染という問題の中に情の話を適度にまぜて、全体として「いい感じ」に仕立て上げている雰囲気が、アナウンサーの如才ない調子のよさとあわさって、何とも後味がわるく残った。

3.15.2012

Comment on "Food Safety in Japan: One Year after the Nuclear Disaster" by Martin J. Frid

This week Martin J. Frid's paper "Food Safety in Japan: One Year after the Nuclear Disaster" was published in Japan Focus. Since then not a few criticisms have been posted on its comment section. I agree with those criticisms and actually wanted to repeat it with my own words. However, by the time I was writing my comments, the author replied to them already, so I decided to limit mine regarding a problem which was not raised in previous comments and a problem I found in the author's reply. I have already posted it, yet it is waiting for approval which I am not sure will be given, and even if it is approved, it is very hard to read in the comment section anyway. Thus I post it here as well.

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Although I am personally disturbed by the absence of discussion regarding the reliability of the government's standards itself, too, putting it aside, for Mr. Frid clarified that it was beyond the scope of this paper in his comment, I would like to raise two questions.

One is regarding the Figure 4 in the paper. This reminds me the article issued in Mainichi Shinbun last December. As in this article, Codex standards as well as EU standards appear "high", because they are based on the assumption that 10% of all foods are contaminated, while Japanese standards, both the old and the new, is based on the assumption that 50% of all foods are contaminated.

EU standards (EURATOM No. 3954/87) is the regulation for imported food following a nuclear emergency, and this standards was applied to foods imported from Japan by Commission Implementing Regulation No.297/2011 on March 25th, 2011. The numbers shown in Fig.4 are those in 3954/87, which is the standards for imported foods from the region which had a nuclear emergency, as it was applied to foods from Japan after Fukushima by 297/2011.

Given the difference of assumed proportion of contaminated food to the total consumption, I think that the comparison presented in Fig.4 is not valid, or at least is misleading for it gives an impression as if Japanese standards is considerably strict among other international standards.

Moreover, 297/2011 was amended a month later by Commission Implementing Regulation No. 351/2011, namely, the standards for foods imported from Japan was amended to ensure consistency with levels applied in Japan. Thus the Caesium standards got tightened, respectively, foods for infants (400 --> 200), Milk and dairy products (1000 --> 200), Other foodstuffs (1250 --> 500), despite that the assumed proportion to the total consumption is much smaller than that in Japan.

My second question is regarding "ND" which Mr. Frid talked about in his comment. Mr. Frid says "ND" means "you can safely eat", but "ND" should not be confound with the safeness of food. Because a) "ND" depends on the detection limit of each test method, and b) thus it does not mean "0" existence of radionuclide, and according to the linear no-threshold model (though there are contesting models, given that scientists have not yet reached to the definite conclusion, the validity of LNT model should not be disregarded), radiation is harmful for human body no matter how small its dose is. 

Data released by Ministry of Health, Labour and Welfare (MHLW) are obtained through tests carried by each municipality. On September 29th, 2011 MHLW notified to municipalities that thereafter those cases whose radionuclide level was less than the detection limit should be reported as "< actual number of detection limit", instead of "ND". This change of policy took a little time but gradually got prevailed, and the term "ND" can no longer be found as of November test results (issued in December).

Thanks to this policy change, we can now know the detection limit of each test, which varies from less than 1 bq/kg to as high as 50 bq/kg at a glance. This is one of reasons why Citizen's Radioactivity Measuring Stations are spreading throughout the country. Besides that the official testing is very limited sample measuring, the minimum level detected in official tests can be different 50 times as much between municipalities and employed methods. This is not clearly a kind of benchmark for people to determine the safeness of given food.

2.29.2012

My feedback on Uncanny Terrain Preview, or How I, and the Society, Should Act for Agriculture in Fukushima

On Feburuary 5th, 2012, a preview showing and fundraiser of "Uncanny Terrain" was held in Chicago. "Uncanny Terrain" is an on-going documentary project by Ed Koziarski and Junko Kajino about organic famers in Fukushima after the tragic accident of Fukushima Daiichi Nuclear Plant caused by the Great East Japan Earthquake. The venue of the event was indeed in the middle of dark storehouse streets, which we found out was the back of City Fleet Management Department, and my friends and I were all glad to have each other to walk from a parking spot to the venue door. That was the very reason why we got so surprised to see the room full of people. (Moreover, to think that it was the night of Super Bowl!)

The event opened with brief introduction by Ed and Junko, and soon was followed by the screeninng of video. As they explained, it was not like a trailer or a digest version, but rather was a bunch of clips put together into 30 minutes video. Ed and Junko actually wanted to go to Fukushima again this year to shoot more, thus, the video was like a progress report, and shouldn't have been taken as something completed. Still, though, I had some comments and questions after watching it, (it was a shame that there was not Q&A or discussion afterwards), so I asked Ed and Junko if they were up for chatting later. They kindly invited me to listen to my feedback and to discuss each other's thoughts.

The Video featured various farmers in Fukushima. Just watching their faces, and listening to their stories was already so impressive. It reminded me again with visuals what had happened there, what was going on there. Even those clips showing just landscapes of Fukushima were stirring, by making me realize the harshest irony that they were "contaminated", yet to the eyes, they were still magnificently beautiful.

Ed and Junko were indeed great listeners. They listened to every farmer's story with such compassion, and I could see how much they were trusted and loved by every farmer in Fukushima. Yet, at the same time, to be honest I started feeling that I wanted more. Their interview style was like let-them-speak style, rather than elicit-their-inner-thought style. There is no doubt about the indispensability to document what Fukushima farmers wanted to say, what they wanted to be heard, but as one of my friends said afterwards, I thought what if Ed and Junko had asked them tough questions to push their boundary a little more. Questions that they needed to consider to answer.

I came to feel this way because a set of each farmer's "willing-to-tell" stories already implied some conflicting positions among them and much more complicated situation in Fukushima agriculture than the uplifting tone throughout the 30minutes video. In the end, a juxtaposition of those contradicting idea leave the audience like me to say nothing but "I am sorry for them". Probably what I wanted was the position of Ed and Junko themselves, who witnessed all those contradictions on site.

For example, of many farmers they featured, there were two farmers who especially got stuck in my mind. One was a dairy farmer whose farm located in the evacuated zone. He drove to Tokyo all the way many times to make street speech, and to protest against TEPCO at its headquarters. Between those activism, he told Ed and Junko that it was an empty promise that they could go back home and keep farming someday. He said that even though it was very harsh, they needed to face with the reality and demand those who were responsible to pay for what they had done. On the other hand, there was another farmer whose farm located outside of evacuate zone, yet was still as close to the Fukushima Daiichi Nuclear Plant as 30 miles. He said that if he had had small children, he might have let them evacuate with their mother. But, he continued that he would stay there to regenerate the contaminated soil, and that he believed it was his responsibility for next generations. He said he would devote himself to restore Fukushima.

"To keep farming is an empty promise" or "to stay to restore our land". I sincerely feel for both farmers, though, I am personally more inclined to the former farmer's perspective. From what I have learned with information and stories so far, I cannot be optimistic about miraculous technology that would decontaminate land, water and air, especially given the fact that the very source of contamination, Fukushima Daiichi Plant itself is still leaking radioactive substances now at this moment. To me, the encouragement for farmers and residents in Fukushima to hang in there sounds nothing but another form of "safety myth".

Moreover, my primary concern is the health risk of those who devote themselves in decontamination project. The government set the soil contamination standard for farming restriction as less than 5000bq/kg. Thus many farmers in Fukushima, like the latter farmer, were concerned whether his land's contamination level is less than the standard. If it didn't exceed the standard, they got relieved because they were allowed to keep cultivating. Being allowed or not is, however, just a bureaucracy business which does not care anything about the health risk of farmers. All those efforts to decontaminate the land, including removal of surface soil, planting of canola, soil agitation, etc, cannot be done without risking the health of people who conduct them, for it is inevitable for them to inhale dust and directly contacting the soil. And in many cases, actually most of those "less-contaminated" farmland cases, farmers are devoting themselves in these tasks.  

So I asked Ed and Junko what they thought about conflicting positions among farmers and told my concerns about farmers' health risk. And again, they were great listeners. They also shared with me a lot of stories that were not included in 30 minutes video and we had a very meaningful discussion. For example, there was a farmer whom they had been shooting, too, but at the time of harvest, he found that the contamination level of his rice exceeded the legal standards. And he did not allow them to use his clips any longer. Another farmer evacuated from Fukushima, but eventually came back because he could not fit in a new place without human and social capital that used to be so rich in his homeland. Listening to those stories I learned about even more complicated and serious situation in Fukushima agriculture. Ed and Junko admitted that for the sake of fundraiser, they tried to make an uplifting message, but they also expected that the completed version would reveal more heavy and dark side as well.

Ed and Junko also told me very honestly that it was difficult for them to ask tough questions especially when farmers shared their hopes. Even the aforementioned farmer who said it would be an empty promise in the 30 minutes video once told them that he was thinking about how he could "decontaminate" cows that had been heavily exposed in the restricted zone. Junko said she had been very surprised when she had heard that, but confessed that she could not dare to challenge him by asking "are you serious?" Ed and Junko also told me that how eager farmers were to keep farming, so it would be hard for them to give up unless they were forced so by the order. Even if they knew the health risk to cultivate there, they did not care, or tried not to care, probably.

Those stories that were not appeared in the video were indeed powerful and made me think even more. And knowing my being intrusive, I could not help but beg them to take on a challenge at their next filming. To witness such inner struggles and complexity of each farmer would be even more evocative for the audience including me, and make us consider what we can, and should do, beyond showing just a sympathy.

I thought it was of course for farmers that they could not make a decision to give up unless they were forced to. Who can give up your land, your life, and your memory by your own will? Thus I can by no means accuse them for trying, or pretending, or maybe indeed being, ignorant about their health risk to stay in and cultivate their land. Actually I think nobody is entitled to do. But at the same time, I cannot feel that it is ethical for me to just cheer up those remaining farmers with knowing their risk. Because I do know the risk. And for me, it is not forgivable to try or pretend to be ignorant about it. In the end, this is the question about how I, who is not a farmer or a resident in Fukushima myself, and the society can and should act for them.

On February 13th, scientists of the University of Tokyo proposed to the government to make contaminated rice paddy fields into "research paddy fields". Instead of banning their cultivation, they claimed, this way, farmers could keep farming there without distributing presumably contaminated rice harvested at there. While I also see the importance to get data regarding soil contamination and its transfer to harvested crops, if the government is really going to do this, I strongly maintain that the farmers who will cultivate those "research paddy fields" should be listed as legally defined Radiation Workers and receive exposure monitoring and health service required by the law (although we are learning that this legal requirement is far less sufficient, but, at least). It would be likely that farmers "allowed" to cultivate there would be just happy. Of course they would be. But I believe that the society, our legal society for God's sake, should not take their "voluntary" acceptance of risks as it is without any supports. Radiation Workers in nuclear plants voluntarily (again, we are learning that there are too many direct and indirect structural forces to have them make that "voluntary" decision) take risks and work there. But we do not tell them that it was their choice. The law requires to provide supports for them (but again, we are learning that the legal requirement has never been adequate, and moreover, this law was so easily amended to have workers in Fukushima Daiichi Plant accept more exposure). It should be clear from my repeated bracketing, which I hate to do, that listing them as legal Radiation Workers is literally minimum, but definitely necessary measures to be taken. If, by any chance, those scientists and the government do not take this into serious consideration in planning this project, I would say that it is not different from a human experiment (what data do they really want?), by taking advantage of farmers' voluntariness.

My point might make more sense in this "research fields" case for some people, because it is about "officially contaminated" fields that have been "legally banned" to be cultivated. But I maintain that being official or not, legal or not, does not matter. Given that the soil is actually contaminated, and the farmers is a high risk group of internal exposure for their direct and continuous contact with soil, whether its level is less than the bureaucratically defined standard means very little. It is about how I, who is not experiencing immediate difficulties, and we as a society should act for farmers in Fukushima. We can never fully compensate their dignity in this irreparable situation. But, for this very reason, I and the society have to seriously consider what we should do for them. Cosidering what farmers are undergoing, money and social support is minimum, but definitely necessary.


I think not many people have been interacting with farmers in Fukushima after the tragedy such intensively as Ed and Junko have. Thus I was very glad that they, who knew the situation much more deeply, took my point well. They were planning to go back to Fukushima again this year to continue filming in which they said they would like to reflect our exchange. After our serious and pleasant discussion, I am looking forward to the completion of "Uncanny Terrain" more than before, with hoping that it will provide lots of insights for me to think and act.