2.12.2014

2014年東京都知事選挙:3日が経ち、杞憂であることを切に願う一つの気がかり

「民主は反省、共産「大健闘」 都知事選を総括」という日経の記事を読み、選挙後数日間の違和感が決定的になってしまった。
「共産党の志位和夫委員長は10日、同党が推薦した宇都宮健児氏と党本部で会談し「大健闘だ」と総括した。宇都宮氏は「元首相連合に勝った。達成感がある」と伝えた。」
念のため赤旗の記事「都知事選 共同の輪さらに発展を :宇都宮氏と志位委員長ら懇談 党本部を訪問」も確認したのだが、「元首相に勝った」という言葉こそないものの、文章も写真もなぜこんなにうれしそうなのか理解に苦しむ。


都知事選が終わった途端、待ってましたといわんばかりに政府はエネルギー基本計画の原発ベース電源方針を決めたし、今日は都知事選の結果待ちとしかいえないタイミングで原子力既成委員会が大飯原発に活断層はないと結論づけた。もうどんどん加速しているのが手に取るようにわかる。福島の人たち、祝島の人たちに顔向けできないという意識、持っているのかもしれないけれど何かこう出てくるものにそういう素振りさえ感じられないのはなぜだろう。

ツイッター内では宇都宮支持者の一部による細川支持の(正確には一本化をめざした)文化人批判が起こっており、批判は構わないけれども、ほとんど吊るし上げのように感じられてしまわなくもない。謝れとか総括を求めるとか、しまいには一本化の代表的存在であった鎌田慧の著書は捨てろという人まで出てきて、瞬間的に怖いと思ってしまった。文化大革命を連想してしまったのだ。宇都宮さんを指導者と呼ぶ人たちもいた。強調するが本当に一部である。そうした傾向に疑問を持っている支持者の方がずっと多い。でもその一方で宇都宮氏本人がライブハウスのようなところで踊っている。希望をつなぐこと、ポジティブであることは素晴らしいし、あれだけ色々あった選挙戦の後であればお疲れさま会なり息抜きなりそれは当然と思う。たまにはハメも外すだろう。ただ私がそう思って見ているからだろうか、このライブハウスの雰囲気、そしてそれに寄せられるコメントの様子に違和感を抱いてしまったことを告白する。

これは私が勝手に抱いていた印象にすぎないのだが、闇金と闘う市民派弁護士というテレビ番組を見たり、前回選挙の様子、話し方、あるいは宇都宮さんをよく知る人たちの言葉から、私は宇都宮健児さんという人は大変実直で真面目な、そして地味で堅実な人なのだろうという印象を持っていた。その地味さこそが私にとっては魅力的であった。だからライブハウスでのまるでロックスターのような宇都宮氏にとまどってしまったのだと思う。私の一方的な印象が間違いで、彼はもともと明るくにぎやかな人だったのかもしれない。その両面どちらもが本当の氏の人柄であり魅力なのかもしれない。でも、それでも、キャーという歓声と興奮、それに浮かされているようにも見えてしまう宇都宮氏の姿。そして、やはり私にとってはあの舛添氏が都知事になってしまった、原発がベース電源に決まってしまった、そういう日に笑い踊る彼に寄せられる数々の「最高!」「楽しい!」というコメント。どうしてだろう。なぜこんなに心がざわつくのだろう。



選挙以来、若年層のことを色々考えていた。若者の苦境、貧困の問題は本当に深刻なのだと思う。でもふと頭をかすめてしまった、そういう若者たちとその指導者が、という例を私たちは歴史上何度も見てきたではないかという気がかり。私の考え過ぎ、杞憂であることを切に願う。


田母神氏を支持した若者と宇都宮氏を支持した若者は思想はまったく真逆であるけれども、存在としてまるでかけ離れているとは思えない。雨宮処凛を思い出すが、生きづらさということ、それを解消するためにどう向かっていくのか、私たちは何ができるのか、切実な思いで考えている。