Miyazawa Kenji, The preface to "The Restaurant of Many Orders"


きっかけがあり何十年かぶりに宮沢賢治『注文の多い料理店』を手に取った。1924年に出版された賢治の児童文学短編集。本来の書名には『イーハトヴ童話』という副題がついている。宮沢賢治は小学生から中学生にかけて色々読んだけれども、格別好きな作家というわけではなかった。しかし今回あらためてその序を読んで、心にしみとおるような衝撃を覚えた。なんと美しい言葉だろうか。自然と人間のつながり、その表現に「たべもの」ということばが要になっていることにもはっとさせられる。


『注文の多い料理店』序
宮沢賢治

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗(らしや)や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。
 わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹(にじ)や月あかりからもらつてきたのです。
 ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。

  大正十二年十二月二十日             宮沢賢治


(青空文庫より転載 http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43735_17908.html)